大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和55年(オ)148号 判決

上告人

株式会社 大沢琺瑯制作所

右代表者

大沢一郎

右訴訟代理人

永井均

西村孝一

水野正晴

渡辺時子

被上告人

株式会社 富士

右代表者

石橋常吉

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人井上惠文、同永井均、同西村孝一、同水野正晴、同渡辺時子の上告理由について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして肯認することができ、その過程に所論の違法はなく、右事実関係のもとにおいて、被上告人の契約締結の利益の侵害を理由とする不法行為に基づく損害賠償請求を認容した原審の判断は、正当として是認することができる。また、本件記録に徴し、原審の措置に所論釈明義務違背及び判決言渡手続に関する法令違背があるとは認められない。論旨は、いずれも採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(木戸口久治 横井大三 伊藤正己 安岡滿彦)

上告代理人井上惠文、同永井均、同西村孝一、同永野正晴、同渡辺時子の上告理由

第一、原判決には次の各点につき審理不尽、理由不備、釈明権不行使の違法がある。

一、原判決は、被上告人と上告人間で「昭和四九年一一月(一二月の誤記か?)一一日ころ上告人所有土地約七〇〇坪中の一部である本件土地を、代金一億八、〇〇〇万円で被上告人が買い取ること、代金中二、〇〇〇万円は手付として契約書作成時に、残余は昭和五〇年二月二八日に各支払うこと、地上建物は上告人が撤去すること、」等「を内容とする売買契約を、昭和四九年一二月二八日に向島公証役場において公正証書による契約書を作成して締結する旨の諒解に達した。」と判示する。

しかし、右期日の時点において、右判示事項のような諒解、特に残余金の支払日を昭和五〇年二月二八日とすること、あるいは建物撤去を上告人がすることとの諒解に達していたと認定しうべき証拠がない。すなわち、第一審及び原審における被上告人の主張をみても、昭和四九年一二月一一日ころ既に残余金の支払期日を昭和五〇年二月二八日としたとの主張自体がなされていないのであるし(第一審では契約締結後一ケ月以内に支払う約旨と主張していた)、被上告人会社代表者本人尋問の結果においてもその旨の証言は何処にもない。また建物撤去費用の負担についても、右本人尋問調書(以下本件調書という)を仔細に見るならば、当初は上告人の負担という方向で話が進められていたようだが、売買代金との兼合において途中より被上告人の負担ということで交渉をやり直したというだけのことであり、右期日に諒解に達していた(それを後に変更した)とは認められない。なぜならば、本件土地の価格は、交渉開始当初一坪当り、売主たる上告人において金五〇万円を、一方買主たる被上告人において金四〇万円をそれぞれ主張していたのであるから(本件調書四丁)、他の付随事項を考慮しないのであれば、売買取引の常識として本件のように後に一坪金四〇万円より低くなる筈がない。本件売買交渉において、約五〇〇坪の土地で金一億八、〇〇〇万円(一坪約金三六万円)という低い線が出たのは、建物撤去費用を被上告人が負担することになつたからであると見るのが常識にも合致する。それは被上告人会社代表者自らも述べているところである(本件調書五丁)。従つて、売買代金を一億八、〇〇〇万円とするとの一応の数値が出た時には、建物撤去費用については被上告人負担ということで当事者間の話し合がなされていた筈であり、原判決には明らかな事実誤認がある。

二、原判決は、「被上告人は、買受資金を調達するため、昭和四九年一二月二七日光信用金庫から二、〇〇〇万円、同月二八日第一勧業信用組合から五、〇〇〇万円の融資を受けて契約の準備を調え」たと判示する。しかし、右のように当該時点では直ちに契約成立に至る程話し合が煮詰つていたかどうか極めて疑問である。仮に被上告人において主観的に合意が見込まれたとしても、右金員中、第一勧業信用組合からの金五、〇〇〇万円については残余金の支払いのために予定されたものとするならば、その支払期日は後日(原判決によれば昭和五〇年二月二八日)とされているのであるから、右借受期日においては不必要のものである。そこで、右金員は被上告人が何のために、どうして融資を受けたのか不明であるばかりか、むしろ被上告人の第一勧業信用組合に対する本件取引と関係ない別個の特殊な事情に基くことを推測させるのである。よつて原審各証拠によつては(上告人に何らかの責任があるとしても)、上告人にその利息分の損害を負担させるべき理由は見当らない。

三、原判決は、「昭和五〇年一月一三日、上告人代表者大沢は被上告人の代表者に対し、地上建物の取壊費用を被上告人が負担してもらいたいと申し入れ」たと認定するが、右期日自体及び取壊費用負担の申し入れということ双方につき理由がないこと前記のとおりである。

また原判決は、「被上告人代表者は、契約すべき事項を確認し合う意味で、印刷された土地(付)建物売買契約書用紙に代金額」等を書き込んだと判示する。しかし、右用紙(甲第一号証)では、印刷された不動文字で本件売買契約にそぐわない点が多々あるのみならず、意味不明の書き込み、抹消訂正があり、それは確認の意味ではなく交渉のための試案の如きものと見るべきものである。本件調書においても右用紙を確認の目的で提示したとの証言はなく、他にそれを証明しうる証拠もないから、これも審理不尽である。

四、原判決は、「被上告人は契約予定日たる昭和五〇年一月二九日が到来したので、買受資金の不足分を補うため、同日更に第一勧業信用組合から一億二千万円の貸付を受け」たと判示する。しかしながら右期日には(被上告人の主張をそのまま認めたとしても)、手付金二、〇〇〇万円だけ準備すればそれで十分であるところ、これは従前の光信用金庫からの借入金二、〇〇〇万円を当てれば済むことであるから、右のように一ケ月も前から年利一一パーセント(甲第四号証の二)という高い利息を支払つて金一億二、〇〇〇万円もの借入れをする必要は全く認められない。そこで右金員の借入れも本件売買契約が右期日に成立する予定になつていたためなされたものではないと考えられるが、仮に本件の代金に当てるものとして借入れたものとしても、その借入れ金の利息を上告人に対する損害とする理由がない。

更に、原判決は、「金五、〇〇〇万円の借受金については、順次手形の書替えを予定したものである」と判示するが、それを認めうべき証拠は全くない。そもそも何のためにそのような方法を取つたのか、本件取引のために必要なことなのか(本件取引との因果関係)について一切言及もしていない。原審の審理において何故被上告人が手形の書替えを予定した上で当面必要でないものを、しかも返済期日を借入れてから三日後とするというような異常な借入金の利息まで、上告人の損害となるのか当然検討されなくてはならない事項である(右のことは金一億二、〇〇〇万円についても同じく当てはまることである)。被上告人でさえ第一審昭和五二年四月二一日付準備書面第四項において自ら述べているように、それが第一勧業信用組合の金利稼ぎに乗せられた「極めて異常な貸付け」によるものであるならば、その異常な貸付に対する利息の支払いは、上告人に対し損害賠償すべき筋合いのものではないのである。

また、仮に前項の各借入金が、真実本件契約のものとされたとしても、金一億二、〇〇〇万円については、被上告人にとつても昭和五〇年一月二九日の段階で契約不成立となつたことが明らかとなつたのであるから、右金員を借入れておく必要はなく、直ちに返済して利息の支払いを最小限に食い止めることが出来たはずである。それにもかかわらず、同年二月二八日まで一ケ月も経過してから返済しているのであり、右期間中の利息まで上告人の責任とすることは理由がない。

よつて、右のような事情にもかかわらず、上告人に責任を負うべき旨判示するならば、釈明権を行使し、因果関係や特別事情等につき仔細に検討する機会を当事者に与えなくてはならない筈であり、それを全く怠つて、漫然と上告人の責任とすることは審理不尽も甚しい。

第二、原判決には論理法則に反し理由齟齬の違法がある

原判決は、上告人が「被上告人の期待を侵害しないように誠実に契約の成立に努めるべき信義則上の義務がある」と認めることの重要な根拠として、「土地付建物売買契約書と題する書面の売主名欄に、その記名用ゴム印を押捺した」ことや「上告人自らも特約事項を記載した書面を作成して被上告人に交付したこと」を掲げている。そうであるならば、上告人の違法行為として被上告人が損害賠償請求をできる範囲は、右契約書や特約事項を記載した書面を交付した期日以後における支払に当てるための借入金に対する利息相当分でなければ論理矛盾である。それにもかかわらず、原判決は昭和四九年一二月二七日の金二、〇〇〇万円及び翌二八日の金五、〇〇〇万円の借入金の天引利息分等までも損害として含めており、理由齟齬の違法があること明らかである。

第三、原判決にはその事実認定において経験則違反の違法がある

一般に不動産取引においては、同一の土地や建物の価格が時と場合により大きく変化するのであり、特に土地に関しては建物以上に代替性が乏しいので、いわゆる売値(所有者が自らの都合により仕方なく売却するような場合)と買値(買主が強く買入れを希望している場合)とが著しく異なることがあるのは常識として良く知られているところである。そのため不動産取引においては、当該物件の価値が大きくなればなる程、当事者は契約成立に慎重になり、またそれだけに掛け引きも多くなつたり、紆余曲折を経ることが多くなり、すんなり契約成立に至ることはむしろ稀なのである。被上告人は、不動産業が職業なのであるから、右のような不動産取引の実体に精通していると思われるが、そのような立場にある被上告人が、本件のような経緯において、契約が直ちに成立するものと思つていたとは考えられない上、加えて支払期日(とされる日)も到来しておらず、未だ不要な段階で金五、〇〇〇万円あるいは金一億二、〇〇〇万円もの金員を本件契約のために借入れるとは考えられない。仮に、被上告人の意向としては本件契約のためのものとしても、それは不動産取引の実情を無視した自分勝手な解釈に基くものであり、信義則に基き保護される契約締結に対する期待や信頼に基くものとは言えず、法律的保護に値しない一人よがりの主観的意向にすぎないものである。

ところが原判決は、それにもかかわらず「上告人としても被上告人の期待を侵害しないよう誠実に契約成立に努めるべき信義則上の義務がある」と判示しているので、これは明らかに一般の経験則に反した違法の認定である。

第四、原判決には法律の解釈適用に違法がある

原判決は、前記第一項のような状況があるにかかわらず、「被上告人としては、右交渉の結果に沿つた契約の成立を期待し、そのための準備を進めることは当然であり、契約締結の準備がこのような段階にまで至つた場合には、上告人としても被上告人の期待を侵害しないように誠実に契約の成立に努めるべき信義則上の義務があると解するを相当とし、上告人がその責に帰すべき事由によつて被上告人との契約の締結を不可能ならしめた場合には、特段事情のない限り、被上告人に対する違法行為が成立する」とし、本件の場合「上告人の右所為は、被上告人の有する契約締結の利益を侵害した点において違法というほかない」と判示する。

しかし、本件の場合、前述のようにそもそも上告人に信義則上の義務が生じたとみられる事実関係はないと認定すべきであるが、それはともかくとしても、原判決はその法律構成において次のような違法がある。すなわち、信義則に基くいわゆる契約締結上の(故意)過失の責任を追求するための要件として、賠償請求権者(被上告人)の善意・無過失が要求されるところ(注釈民法(13)六〇頁参照)、原判決は右要件に全く言及していない。またその点につき客観的にみるならば、被上告人は上告人から他にも買受人がいることの知らせを受けていたのであり(甲第六号証)、そのうえ被上告人は不動産業を営んでいることの前記特質からして、本件のような経緯において売買契約の成立を期待していたとは考えられない。よつて本件の場合、上告人に信義則上の義務があるとの判断は、法律の解釈・適用を誤つたものである。

第五、前項に関連して原判決には更に審理不尽・釈明権不行使の違法がある

原判決は、「上告人は被上告人が計金一億八、〇〇〇万円の資金につき、金融機関から融資を受けることになつていたことは当然に認識していたもの」と判示する。しかし、右判示も根拠がない。すなわち昭和四九年一二月二八日の時点、あるいは昭和五〇年一月二九日の各時点においては、仮に被上告人において主観的に契約成立の見通しを持つていたとしても、その各時点において用意しておくべき資金は金二、〇〇〇万円だけでよかつたのであるから、上告人としても被上告人が借入れた金はその限度と考えていたと見るのが当然であり、それが普通である。上告人にとつては被上告人が金五、〇〇〇万円や金一億二、〇〇〇万円もの借入れを既になしていたとは認識していなかつたと見るべき場合なのである。よつてこの点でも原判決は審理不尽があり、釈明権不行使の違法がある。

第六、原判決には、証言、書証の証拠価値・評価において採証法則に反する違法がある

原判決においては、前記のように審理不尽・理由不備等の判決に影響を及ぼす法令違背があること明らかであるが、その主たる原因は証拠方法に対する吟味を怠り、証拠価値の評価を誤つているからである。即ち原判決の認定した事実は、大部分において被上告人が上告人に宛てた「催告書」(甲第六号証)に記載してあることを、そのまま安易に認めたものであり、同書に記載されていることは、被上告人会社代表者の本人尋問でも証言されてなく他の書証にも全く顕出されてない事実(前記各項記載のもの)、あるいは一、二審での被上告人の主張とさえ一致しないような事実(例えば原審「請求原因」では、主位的・予備的双方とも契約もしくは交渉がまとまつた日をいずれも昭和五〇年一月二五日、六日ころとし、他の月日は主張として述べられてないのに、「理由」中の事実認定においては昭和四九年一二月一一日ころ交渉がまとまつたと認定している)まで認めているのである。

しかしながら、右書証では、「催告書」と題されている如く、証明力を持つのは被上告人が上告人に対して損害賠償請求の催告をしたということだけであり、それ以外の内容については、他の証拠によつて認められるのでなければ、「催告書」に記載されているだけでは到底証明ありとは言えない筈である。それにもかかわらず原判決は、「催告書」の記載の内容をそのまま鵜呑みにし、被上告人に対して他の証拠方法による証明を促すこともなく、一方上告人に対しても反証に関する釈明をすることもなく前記のような認定をしているのであり、それは採証法則に反する違法のあること明らかである。

第七、原判決には訴訟手続において法令違反がある

原判決は、上告人に対する判決言渡期日の通知・呼出もなく言渡されたものであり、法令に違背すること明らかである。すなわち原審は第一三回口頭弁論期日(昭和五四年七月九日)において弁論が終結となり、右期日において判決言渡期日を同年一〇月三日とする旨の告知が裁判長よりなされた。しかるに同年九月末ころ裁判所(書記官)より上告人代理人に対し、電話で「判決言渡は後日に延期する」旨の通知があつた(言渡期日の新たな指定・通知はなかつた)。その後何の通知や呼出もないまま、同年一一月八日に至り突然代理人に対し原判決正本の送達がなされたのである。右は、その後の口頭弁論調書の調査によると、裁判所は一〇月三日の期日を上告人代理人に対しては予め「延期」と通知しておきながら、右期日には口頭弁論を開き(当然上告人及び被上告人不出頭であり、開くこと自体も違法である。)、そこで判決言渡期日を一一月七日と決めたのであるが、その指定に関する通知や連絡を全くしなかつたことによる。

よつて原判決の言渡しは、民訴法一五四条、同一五五条に違背すること明らかである。

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